巨岩が露出する高尾山 (中央のマンションの上)
鐸比古・鐸比売神社と高尾山
生駒山地の西ろく(河内平野側)には、枚岡神社・玉祖神社・恩智神社などの式内社のほか、古代寺院が多数連なって存在していますが、恩智神社の南方、柏原市大県(おおあがた)の山ろくには、背後に聳える高尾山(278m たかおやま)を神体山・磐座とする鐸比古・鐸比売神社が鎮座しています。
祭神 鐸比古命・鐸比売命
この神社は、式内社で、もと高尾山の山頂に祀られていましたが、中世に現在の地に遷されたといわれます。由緒書によれば、鐸比古命は、垂仁天皇の子沼滞別命のこととして「ぬでひこぬでひめ」神社と呼ばれています。
伝えによれば「在る年、日照りが続き農作物が枯れはじめたので村びとはこの両神に雨乞いの祈祷をしたところ、一天にわかにかきくもり大雨がふった・・」といわれますが、詳しい神社の歴史はよくわかっていません。
西面する鐸比古・鐸比売神社-背後に高尾山がそびえる
高尾山へは、神社の参道の南側、旧170号から信貴山方面に通じる山越えの
道があり、車で行く事ができます。
ただし高尾山の入口にある赤い鳥居の所は狭く、車を止めるのは危険。
高尾山=たかおやまの名は、神山(こおやま)から変化した名前なのだろう
高尾山頂の南西面に岩盤が露出するが雑木で見えにくい。
ただし頂上は平坦な磐座となっている
高尾山から南を遠望
大和川と石川の合流点〜古市古墳群〜南河内〜金剛・葛城・
和泉山地のすばらしい景色が見渡せる。
■高尾山周辺は、弥生土器や石器が採集されることから、弥生時代の高地性集落であったと
言われます。
大正14年には、山頂から少し下った標高200mのところから、ぶどう畑の開墾中に多紐細文鏡が見つかっています。
この鏡は古墳から見つかる中国鏡とはまったく異なり、朝鮮半島の青銅器時代に盛行した鏡で、日本ではわずか8面しか出土していない貴重な鏡で、鏡の背面の6つの重圏内に三角文・斜格子文・市松文が施され、細かい斜線でうめられています。
山ろくに広がっていた渡来文化を偲ばせる貴重な遺物です。また、神社の周辺山ろくに存在する「大県遺跡」(おおあがたいせき)は、古墳時代〜奈良時代の大遺跡で、最近の発掘調査で、次々と渡来系の鍛冶技術集団の集落遺跡であったことを示す鍛冶炉や建物跡・井戸のほか、多数の韓式土器や鉄縡なども出土しています。
『大県の鉄-発掘調査15年』1996.3 柏原市教委
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