田蓑嶋姫神社 (たみのしまひめ)
『住吉大社神代記』に住吉大神の子神として田蓑嶋姫神が登場します。
この神を祀る神社は、住吉大社の北方約10km、大阪市の最も北側に位置する西淀川区佃1丁目に鎮座する「田蓑神社」のことだと言われています。
祭神は、底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命・神功皇后を祀ります。
この地は、神崎川と猪名川が合流した河口にできた田蓑島の北端に位置し、古代の摂津国西成郡の西北端にあります。
川の西側は、現在の兵庫県尼崎市に川辺郡、猪名川の東側は豊島郡、つまり三郡界に隣接しています。
『社記』によると、神功皇后が三韓征討の時に、住吉三神を守神として奉り、征討から帰還の途中、この田蓑嶋に立ち寄られ、勝利を祝ってここに三神を祀られたと伝わる。
また後には神功皇后も加わって四柱となり、征討の御船の鬼板を神宝として所蔵されているといいます。
『住吉大社神代記』には、「一、荷前(のさき)二処・弊帛浜(みてはま)等の本縁」として三地域が記されていますが、もっとも東端に位置すると思われる湾岸地域として「一処、三国川尻(神崎川尻)より吾君川(あぎかわ)尻に至る難破浦。」が登場します。
いずれの地も、昔、気長帯姫皇后が寄さし奉ったところで、三韓の国の調貢は河口からこれらの川より運び進(たてまつ)ったが、川の漂が没れたため困難となり運漕(こぎはこ)べなくなったため、吾君川(あぎかわ=中津川?)から運漕んだという。
また、続いて「姫神の坐す縁は是なり。社一前。四至 (東を限る、頭无江。南を限る、海。西を限る、郡の堺。北を限る、公田。)と記される姫神、そして社一前とははたしてどこの姫神なのでしょうか。
『住吉大社神代記』には、六月御解除の聖地として住吉大社の南方、堺市(和泉監)にある開口水門姫神社(古くは摂津国住吉郡との境界に位置した=現、開口神社)をあげ、これに対する九月御解除の聖地として、北方に位置する田蓑嶋姫神社(摂津国西成郡)をあげて、毎年、南・北両端の境となる神地での重要な浄め祓いの神事が行われた事を記しています。
平安時代の9世紀から13世紀初めにかけた天皇の即位儀式、大嘗祭の翌年に行われたという八十嶋祭の場所は、流路が大きく変遷した中で、神崎川筋河口近くの嶋である田蓑嶋の場所、すなわち田蓑神社の地も可能性が高い所でしょう。
田蓑神社の南方1.5kmの姫島には、姫島神社(祭神-阿迦留姫命・住吉大神)が鎮座していますが、『住吉大社神代記』には姫神の社の名は、記されていないものの、田蓑嶋姫神社よりもさらに古い頃に、難波浦の重要な境を守る、あるいは渡しを守る姫神として祀られたのかも知れません。
『 田蓑神社由緒 』同社配付資料より転載
佃漁民ゆかりの地 佃の町の鎮守 様
宗教法人 田蓑神社
大阪市西淀川区佃1丁目18番14号
御祭神 底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命・神功皇后
境内社 東照宮-徳川家康公
金比羅宮-大物主大神
稲生社-宇賀御魂神
重之社-天照皇大神・猿田彦命・事代主大神・大国主大神・応神天皇・少彦名大
神・菅原道真公
貞観11年(869)9月15日鎮座、田蓑嶋神社という。
寛保元年(1741)9月に住吉神社と改称し、明治元年(1868)に田蓑神社となる。
御祭神 住吉の四社
住吉大神は、伊邪那岐大神がその昔、日向の橘の小門の憶原というところで禊祓されましたときにお出ましになりました大神で、表筒之男命・中筒之男命・底筒之男命の三柱でございます。伊勢神宮の天照皇大神の御兄弟神に当れる神様です。
三韓征討の時に神功皇后みずから、住吉三神を守り神と奉り、遂に三韓の王等を降伏、国におもどりに成る途中この田蓑嶋に立ちよられ勝ち戦を祝われ三神を奉られました。
その時の御船の鬼板を神宝として今も奉祀されています。後に神功皇后も加わり四柱となり、これを住吉の四柱の大神という。
徳川家康公と田蓑神社
天正10年(1582)徳川家康公この地に立ちよられ、多田の廟(現在、池田市[川西市の誤り]多田神社)に参詣の時、田蓑嶋漁夫等、漁船をつかって、神崎川の渡船を勤めた縁により、漁民等には「全国どこで漁をしても良し又、税はいらない」という特別のごほうびをいただき、漁業の一方、田も作れと命じられ、その意をもって田蓑嶋を佃と改め、後、寛永8年(1638)田蓑嶋神社内に、東照宮(徳川家康公)が奉られることになった。
天正18年(1590)8月1日、家康公が関東(現在東京)へ下降の時、佃の人等33名と田蓑神社宮司平岡庄太夫の弟、権太夫好次が住吉四神の分神霊を奉戴して、当時安藤対馬守、石川大隅守の邸内に一時奉祭しました。寛永年間に幕府より鉄炮洲(現在佃嶋)の地をいただき、大阪の佃と同じ名を付け、住吉大神の社地を定め正保3年(1646)6月29日住吉の四柱の大神と徳川家康公の御霊を奉られた。(現在、東京都中央区佃の住吉神社)
神社史料館
心のふるさとであり、一千年余りの歴史をもつ当神社が、この佃の町の文化史跡を明らかにし、神を敬い奉りて今も行先も大神の加護を受けより良き町にならんことを祈り、昭和60年7月昭和天皇御在位60年を祝い建設したものである。
昭和の大造営
昭和62年、御本殿、拝殿の御造営を初め境内社の整備等を行う。同年1月11日大地を鎮め奉り、10月25日御遷宮、翌日奉祝行事が盛大に行われる。
平成の御代の事柄
昭和の御代も64年1月7日をもって最も長き時代を終え、平成の御代と変わり平穏無事過ぎしが7年1月17日未明、淡路阪神大震災(震度7)が起こり、佃の町にも被害がおよび当社も拝殿の傾き、社務所の全壊を初め、鳥居、灯篭、参道等多大なる被害を受けしが、ただちに復興工事を行い10月15日に復興し、秋の大祭に奉祝を行う。
平成12年秋の例大祭、御鎮座1130年の記念行事を盛大に行う。
紀貫之と田蓑嶋
平安時代の歌人で、旅の途中田蓑嶋(現在の佃)に立ちよられ歌を詠まれました。
雨により 田蓑の嶋に けふゆけば なにわかくれぬ ものにぞありける
お旅処
慶応元年まで神社から今の阪神電車千船駅付近まで御旅が行なわれていたが、水害にあい神具一式が無くなり、翌2年より御旅は中止となり、今その碑が千船病院前に建立されている。
謡曲「芦刈」と田蓑神社
「大和物語」の話より作られた謡曲が「芦刈」です。淀川支流の佃は、川岸に沿って昔芦が群生していた所で、謡曲「芦刈」の舞台とした面影はないが、田蓑神社はその史跡として今に伝えられています。 (謡曲史跡保存会)
正面鳥居
永正8年(1511)に建てられたもので、この年代の鳥居としては型も整っているものです。
主な祭典
歳旦祭 1月1日
節分祭 2月3日
初午祭 2月初午日
東照宮祭 5月17日
夏期大祭 7月31日・8月1日
秋期大祭 10月16日・10月17日
慰霊歳 11月3日
七五三祭 11月中
鎮火祭 11月26日
大祓祭 12月31日
月並祭 毎月1日・15日
交通安全祭 毎月10日
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