龍田神社の本宮伝承地と御座峰 (柏原市雁多尾畑)

    
    
            
龍田大社より西方、伝本宮跡・御座峰を望む


 
龍田神社の本宮伝承地と御座峰

生駒山地の東側、平群谷が大和川に向かって開く所「三郷町立野」に、古代以来、尊崇されてきた風の神-龍田神社が鎮座し、天御柱命、国御柱命の二神が祀られています。
神社は、東方を正面としていますが、社叢の背後に信貴山から続いてきた山並み「龍田山」には、中腹に「三室山」〜「小按の嶺」があります。
毎年、龍田大社の神官が例祭の日に重要な祭祀を行なう聖地があります。
小按の嶺と考えられる尾根上の平坦部分に「傅龍田神社本宮跡」と刻まれた石碑と、その背後の斜面に自然石の立石を祀る磐座が5ケ所存在しています。 
さらに上方には、柏原市の雁多尾畑(かりんどおばた)から北の信貴山へ通じる車道の西に聳える小高い嶺は「御座峰」とよばれ、峰上には「傅龍田本宮御座峰」の石碑があり(東向)、祭祀が続けられています。
崇神天皇の時代、龍田の風の神が龍田(竜田-立田--タツという地だったのか)山の峰に降臨した聖なる峰であり、御座峰〜本宮の地-磐座〜龍田神社へ連なる祭祀ルートは、神の降臨-移動の道=「神降りの道」とも称されています。


    
     
龍田神社本宮伝承地(左の尾根上)と御座峰(標高321m、右側の峰)--北から遠望
    
           「傅 龍田神社本宮趾」の碑 (龍田大社の方向東を向く)
     
     
     
           本宮伝承地の碑の背後には、5つの自然石の磐座があります
    
        峰の上に龍田大社の方向(東)を向いて「傅龍田本宮 御座峰」の碑が立つ
    
          御座峰近くから龍田大社(中央の方形の社叢)〜大和川方面を遠望
     
        
御座峰の碑の所在地          山ろくの龍田大社



 
龍 田 神 社 吉田東伍著 『大日本地名辞書』より

今三郷村立野に在り、中世二十二社の第十四に列し、風神を祭る。延喜式龍田坐天御柱国御柱神社所祭級長戸邊命級長津彦命ニ座と者是也。
古事記傅に、風は天と地の間を支へ持てば御柱と称へたりと。書紀纂疏は風神即龍田姫龍田彦なりと日へり、按ふに級長は古事記志奈に作り、龍田の別名歟、名義詳ならず。今官幣大社に列す。
神祇志料云、級長津彦日本書紀に見ゆ、旧事紀には級長戸邊ありて二神と為せり。此二神即風神にして、上古伊弉諾尊大八州國を生給て、我生りし國唯朝霧のみ薫る哉と詔て、乃吹撥はせる御気息に生坐る神也。
(日本書紀・旧事本紀)
崇神天皇御世、五穀物悪風荒水に逢てあまるく傷はるゝを天皇憂給ひ、祈誓
(うけひ)して御寝坐る大御夢に此神顕れ坐して、此は我御心也、明衣楯戈御馬鞍品々幣帛備て、朝日の日向ふ處夕日の隠る處の龍田立野の小野に吾宮を定奉りて吾前を治め奉らば、天下の公民の作りと作る物は草の片葉に至るまで成幸へ奉らむと悟奉り、故に其始めて神社を建て之を祭りき。
(延喜式祝詞)

天武天皇三年、小紫美濃王小錦下佐伯連広足をして風神を龍田立野に祭らしむ、風神祭此に始まる。
(日本書紀)
大寶令、風神祭、義解云、廣瀬龍田二祭也、欲令風不吹稼穡滋登、故有此祭。

 
龍 田 山  吉田東伍著 『大日本地名辞書』より
三郷村の西なる嶺を云ふ、信貴山の南に接し河内堅上村
(大縣郡=おおあがたぐん)に跨る山なり、而も一峯の名つくべきかし。
日本書紀云、神武天皇、勒兵歩趣龍田、而其路狭嶮、人不得並行、乃還。又云、去来穂別太子、(履中)發當摩縣兵、令従身自龍田山踰之、日彼來者誰人也、何歩行急之、若賊人乎、因隠山中、而待之、出伏兵圍之、悉捕得。
書紀通證に龍田に盗賊を詠ずることは去来穂別太子の故典に起る乎とあれど疑わし、按ずるに、
 風吹けは沖津しらなみ立田山夜はにや君か山路こゆらん、(古今集)
是本より山中亀瀬の瀧川に瀧田嵐の夜毎に吹すさむを詠せるに過きず、盗人の異名をしらなみと云ふは荘子に緑林白波の語あり、後世之に因り説を為すのみ。


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