阿遅速雄(あぢはやお)神社は、旧の河内と摂津両国の境を南北に築造された長大な古代の国堤=劔堤上に鎮座し、古代の河内湖の東方に連なる生駒山、あるいは伝饒速日山=草香山を向いて鎮まる。祭神は、阿遅鉏高日子根神。
古くは摂津国東成郡放出、現在は、大阪市鶴見区放出(はなてん)にあり、ここは、河内・大和の水を集めて流れていた旧大和川筋(現在は寝屋川-古くは長瀬川・菱江川・玉櫛川など)と寝屋川などが、河内から摂津へ流れ出す口にあたっていました。
「膽駒神南備山本記」が載せられている『住吉大社神代記』には、住吉大社の子神として登場する「味早雄神」にあたり、住吉大神とは深いつながりのある古社の一つです。
(2005.5)
神社正面の門と社叢・おかげ燈籠
阿 遅 速 雄 神 社 (同社配付の由緒書から)
御祭神 阿遅鉏高日子根神(迦毛大神)
草薙御神劔御神霊(八劔大神)
御祭神創祀の御由緒
阿遅鉏高日子根神は 本地に降臨せられ給ひ 土地を招き民に耕耘の業をさづけ 恩沢をたれ給ひ父神 大国主命の神業を補翼し給ふ 郷民その御神徳忍び 摂津 河内の國造神として 御神恩をお慕ひ申上げ 神いませし此の地の守護神として斎ひまつると云ひ伝へたるものにして・・・・ この宮を阿遅速雄神社と稱す、古代は阿遅經宮又は浦明神と稱され のち八劔大明神と尊稱す
八劔大神奉斎の御由緒
天智天皇(三十八代)七年十一月 新羅の僧 道行 尾張國熱田宮に鎮り座す 御神劔 天叢雲劔即ち草薙御劔を盗み出し 船にて本國へ帰途 難波の津で大嵐に遭ひ流し出され 古代の大和川河口であった当地で嵐は更に激しく これ御神罰なりと御神威に恐れをなし御劔を河中に放り出し逃げ去りたり(これが地名となり 放出(はなちて) 放出(はなつて) 放出(はなつてん) 今「はなてん」と云ふ)
後この地の里人 この御劔をお拾ひ申上げ 大國主命の御子 阿遅鉏高日子根神御鎮座の此の御社に合祀奉斎すること数ヶ年 後草薙御神劔の御分霊は永遠に当御社に留まりし座し 奉斎す 御神劔は天武天皇(四十代)の皇居飛鳥 浄見原宮に御うつし申上げ 更に朱鳥元年六月 皇居より尾州熱田の御社に奉還し給ひ 永へに熱田神宮に鎮り座します
右御由緒あらたかな当御社に御鎮座の八劔大神に 中御門天皇(百十四代) 享保八年 御神階正一位を贈られ 八劔大明神と尊稱す
阿 遅 速 雄 神 社
菖蒲神池の由緒
仁徳天皇御病の時 本社御祭神 阿遅鉏高日子根命 夢枕にたたせ給ひ「皇居の東方にある神池の菖蒲を供奠斎祀せられよ 必ず御病 癒ゆべし」との御神託により 神池の菖蒲を祭祀し給しに 忽ち平癒あらせ給ひたりと 某所に本社のその由緒書があり これが由縁にて 古来より菖蒲刈祭は 本社の特殊祭典として伝わり 神前に供奠の菖蒲は撤下後 氏子 崇敬者に頒ち授け それを出入口の屋根に病魔除として祭りたるものなり 菖蒲は霊験あらたかにして邪気はらひ病魔除として端午節句に広く各戸の屋上に祭り無病息災を祈る風習発祥その菖蒲神池なり
古来より 日本武尊に因めるにや 当社の神庭の細砂は脚疾に奇瑞の效験ありと云う
延喜式内(郷社) 阿遅速雄神社 旧(摂津國東成郡放出村水劔)
『日本輿地通志』摂津國之三(摂津志)
劔堤 自放出村經下之辻 般若寺 馬場到河州茨田郡土居村即國界也 (之を中高野街道とも云う)
神廟 阿遅速雄神社=在放出劔堤今稱八劔
享保二十年冬 編者 並河 誠所
『名葦探杖 巻二』 安永七年秋 著者 暁隣軒蟻工
阿遅速雄神社=式内の神なり放出村の劔の堤にあり祭る所 天叢雲の宝劔なり 俗呼びて八劔の宮といふこれなり尾州熱田の神ここに還し祭る
照りつづき熱田の水も満てけり 謹みて八劔文庫
天然記念物 くす
鶴見区放出東 阿遅速雄神社 (説明板より引用)
老樹であるが四季を通じて枝葉なを旺盛で風雪に耐え境内に荘厳の風を添えている 幹回り目通り十九尺二寸(約六メートル) 樹高約五十尺(約十六メートル) 枝張約九十八尺(約三十メートル)より社頭の森厳を加え当方に於ける名樹である
大阪府教育委員会 大阪府古文化記念物保存顕彰規程により昭和十八年八月二十三日天然記念物指定昭和二十七年三月 大阪府教育委員会
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