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★生駒神南備山の北方、磐船神社のある渓谷から流れ出す天の川の谷口近くの山丘上(交野市星田)に、平安時代の弘仁年間のこと、弘法大師が東方にある獅子窟(寺)に入って修行のとき、天から七曜の星がこの地に降ったという。 交野には機物神社や、饒速日山ともいわれる哮ケ峯(磐船神社)など、天からいろいろ降ってくることに関わる伝承が多いところです。まずは写真で紹介します。 (平成17.7.7) 小松神社(星田妙見宮)の参道-奥の左側の急な石段を登りさらに尾根筋を右に登る 南東方向から妙見山(144m)を遠望 頂上の拝殿-背後に巨石がある 拝殿にある玄武の木製飾り 妙見山 (小松神社) 『大阪府全誌』より 妙見山は東方にあり、大和との国境を限れる連山の支峯にして、峯頭に巨石二個あり、里人は織女石又は妙見石と呼ベり、即ち小松神社の神躰にして一に妙見神と唱ふ。 縁起に依れば、弘仁年間弘法大師獅子窟に入りて佛眼尊の秘法を修しけるに、天より七曜星當村の三ケ所に降臨ありしを以て星田村の名を爲し、其の降臨ありし三ヶ所の一は、即ち當山の星石即ち妙見石なり。 後、高野山を開きて同大師再び當山に登り、先年星の影 ありし此の霊石を拝せるに、北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳なるを以って、慇懃に勧請して、妙見山龍降院と稱し、四海泰平五穀豊饒国家擁護の霊場と崇め、雙石を開眼供養せりと。 當山の星石と同時に三ヶ所に降臨ありしと傅ふる他の星石なるものは、光林寺と星森とにありて、各石の距離は8町なりと。 而して祠を神道家は天御中主尊といひ、陰陽家は北晨星といひ、真言家は妙見菩薩と仰ぎて崇信せり。 参道は麓より石磴を登りて山の脊筋に沿ひ、更に幾段山の石磴は設けられ、其の峯頭たる星石の前に本殿・拝殿を建てらる、社務所・絵馬舎は其の中段にあり。 従来無格社なりしが、明治39年11月20日星田神社の境外末社となる。末社に稲荷神社あり。氏地なく、賽者多し、祭日は7月23日なり。 境内17,094坪の廣さを有し、松杉其の他の雑樹多く合抱に餘り、孫枝旁椏鬱然として空を蔽ひ、地に一點の○影を印せず、凄陰幽観寂の気人の衣袂を襲へり。山中の名蹟として菖蒲瀧及び明星水あり、明星水は山下登口の傍にありて清澄寒撤玉の如し、今は盥漱水に利用せらる。菖蒲瀧は高さ貳丈に過ぎざれども、淙々として其の聲樹間に響けり。 星田妙見宮 (境内説明板より) 当霊山は平安時代の弘仁年間(810〜824)に弘法大師空海上人が私市の獅子窟寺の岩屋で仏眼仏母尊の修法をされたときに当霊山に七曜の星が降臨し、大師自ら「三光清岩正身の妙見」と称され、北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳、神仏の法宅諸天善神影向來会の名山、星霊場としてまつられました。 又、当宮を一点として、当村内の光林寺星の森の三点に一辺を八丁として降臨するを以て、「八丁見所」と云われ、当村を三宅庄星田村と改称されました。当御祭神は神道にては天御中主大神、仏教にては北辰妙見大菩薩、陰陽道にては太上神仙鎮宅霊符神と申されます。 ★星まつり2月8日 ★七夕祭7月7日 ★星降り祭7月23日 拝殿の背後-尾根突端の位置にある星石=織女石=妙見石 |