額 田 神 社 址 『大阪府全志』 より



 
旧額田神社址 『大阪府全誌』より

 額田神社の址は西方にあり、額田大仲日子命を祀りし所なり。命は應神天皇第一の皇子にして、御母は品陀眞若王の女高木之入日賣命なり。傳へいふ、継体天皇の御宇、夏南降らず大に旱しければ、大臣巨勢男人に詔して、當社を創建して五穀の豊穣を祈らせられ、後、桓武天皇の延暦七年夏復た雨降らざりしかば、同五月大納言征夷大将軍古佐美朝臣勅を奉じて諸社に祈雨せるの際、本地を過ぎけるに當社のあるを見て、額田部首紀住子を喚びて其の縁由を聞き、天皇に奏して更に神戸・神地を定め、永く寶祚の無窮・風雨の順時・五穀の豊饒を祈りしと。爾来舊社として崇信せられ来りしも、漸次荒廃して一小祠たるに過ぎざりしが、明治五年十月終に枚岡神社に合祀せらる。境内には式部位子従六位下額田首皆人を祀れるの小祠及び棟高明神祠ありしも、額田神社と同時に廃せらる。其の棟高明神社は、聖武天皇の御字寶祚の長久を祈らんが爲め、明経博士額田首千足の詔を奉じて天照大日靈尊・天児屋根命を祭り、後八幡大神を配して三座となせしと傳ふ。尚額田皇子の御母高木之入日賣命を祀れる高城社及び大納言征夷大将軍紀古佐美を祀れる高佐美社は、共に西方字高佐美(高佐美は古佐美なり、西方田圃の中に字大納言あり、紀氏別業の址なりといふ)にありしが、今は移して高内某の家に祭れり。

  額田と額田大中日子命
  『ぬかた縁起』




              いこまかんなびの杜