住 吉 大 社 の 真 東 に 鎮 座 す る 恩 智 神 社


 

         


 
恩 智 神 社 (八尾市恩智)

住吉大社から古代の道「磯歯津道」を通して真東の生駒山地西ろくに鎮座し、『住吉大社神代記』の「膽駒神南備山本記」に"恩智神"あるいは"猿の往来"として登場する恩智神社。
膽駒神南備山を考える上で枚岡神社・玉祖神社と共に、重要な位置を占めています。 



 『大阪府全誌』より引用

恩智神社は東方恩智山の半腹字青谷原に鎮座せり。延喜式内の御社にして、式に「恩智神社二座並名神大月次相嘗新嘗」と見ゆるもの即ち是なり。
社傅に依れば、創建の年代は遠く白鳳の昔にありて、最初は天児屋根を祀りしが、景雲年中に至りて之を枚岡に移し、後大御食津彦命・大御食津姫命の二座を祀るに至りしものなりと。
然れども或はいう、奈良春日に移り給ひしなりと。
以前に於ける當社の故例に、當社が舊六月廿七日に大祓を行ふに當りて、神輿の泉州堺に出御せらるゝや、其の間は枚岡より来りて當社を守り、又明治維新前までは奈良春日社の猿楽は當社の猿楽出張せざれば行はれず、故に當社の猿楽座は彼の社より七石五斗と金若干との扶持を受け来りしが、其関係は両社とも當社より遷座ありしに基けりと。
然れども古記の徴すペきものなければ何れとも断じ難し。社は持統天皇の元年冬十月高安城へ行幸の砌、當社に行幸あらせられ、称徳天皇は天平神護二年河内・丹後・播磨・若狭の三十七戸を寄せさせられ、降て醍醐・村上両天皇の御字(延喜應和の年)天下大に旱せしかば、勅使参向して雨を祈りしに、共に其の験ありて民庶為めに蘇生し、叡感の餘神殿・末社を造営あらせられ、かつ弊帛を捧げ給へり。
是れより先、仁明天皇の嘉祥三年冬十月正三位を授かり給ひしを初めとして、遂に極位に昇叙あらせられ、中世は神宮寺ありしが、明治維新後全く分離せり。(以降略) 

 資料 『恩智大明神縁起』                                  



 『河内二之宮 恩智神社由緒略記』  同社発行の由緒より紹介します。

 御祭神
 
オオミケツヒコノオオカミ
 大御食津彦大神(天児屋根の命の五世の孫)
 
オオミケツヒメノオオカミ
 大御食津姫大神(伊勢神宮外宮の御祭神豊受姫大神異名同神)

由 緒
当神社の創建は大和時代の雄略年間
(470年頃)と伝えられ、河内の国を御守護のためにお祀りされた神社で国内でも有数の古社であり、後に延喜式内名神大社に列する神社である。
「恩智神社圭田八十三束三字田所祭手力雄神也雄略天皇三年奉二圭田一行二神事一云々」と
記されている(総国風土記)
奈良時代(天平宝字)に藤原氏により再建されてより、藤原氏の祖神である「天児屋根命」を常陸国(現香取神宮)より御分霊を奉還し、摂社として社を建立したその後、宝亀年中に枚岡(枚岡神社)を経て奈良(春日大社)に祀った。従って当社は元春日と呼ばれる所以である。
神功皇后が三韓征伐の際、当社の神が住吉大神と共に海路、陸路を安全に道案内し、先鋒或は後衛となり神功皇后に加勢したその功により神社創建時に朝廷から七郷を賜わった。
以来、朝廷からの崇敬厚く、持統天皇の元年
(689)冬十月に行幸されて以来、称徳天皇(第48代)天平神護景雲二年(768)には、河内、丹後、播磨、美作、若狭の地三七戸を神封に充てられ、文徳天皇(第55代)嘉祥三年(850)10月に正三位、清和天皇(第56代)貞観元年(859)正月に従二位、更に正一位に叙せられ、恩智大明神の称号を賜り、名神大社として、延喜式、名神帳に登載される。
以後、醍醐天皇、村上天皇の御宇(延喜及び応和三年)の大早ばつに勅使参向して祈雨をさ
れ、その霊験があり、それぞれ蘇生したと伝わる。
また、一條天皇正暦五年
(994)四月中臣氏を宣命使として幣吊を奉り、疫病等の災難除け
を祈った。
これが当神社の大祓神事(夏祭・御破い祭)の始まりとされている。
尚、三代実録によれば当神社は下水分社といわれている。これは建水分神社(千早赤阪)上水分社、美具久留御魂神社を中水分社といわれ、三社とも、楠一族が崇拝した神社である。
明治維新前迄は、奈良春日社の猿楽は当神社が受けもち、この猿楽座に対して、春日社より米七石五斗と金若干が奉納されていた。
社殿は、当初天王森(現頓宮)に建立されていたが建武年間に恩地左近公恩智城築城の折、社殿より上方にあるのは不敬として現在の地恩智山上に奉遷され、現在に至っている。
本殿の建築様式は、王子造り(流れ造りの一種)で極めて珍らしい貴重な建築様式である。
拝殿は、両部集合造りで神仏混淆の造りとして、それぞれ江戸時代末期に地元辻野大工大長によって建て替えられたものである。

祭 典(例祭)
 春 祭 4月3日(旧祈念祭(トシゴイノマツリ)、五穀豊穣を祈る祭典)
 夏 祭 8月1日(旧6月27日に行なわれた夏越の神事<大祓>の祭典)
  (神幸祭)
 秋 祭 11月26日(旧相嘗祭、現新嘗祭五穀豊穣に感謝し新穀で調理した特殊神饉(御供)      を供え、報恩感謝の誠を捧げる大祭。戦前は11月下旬の卯辰の日に行なわれた)
 おまつりの意義
おまつりは、神霊に奉仕して霊を慰め、また祈る儀式や行事である。日本では古代より、皇室の弥栄、国家の平和、国民の幸福、五穀
(米・麦・粟・豆・きび)を始め、野菜果物に至る豊作を祈願・報謝する。
 御神徳(ご利益功徳)
当神社の大神は、人々が幸福に暮らせる為に必要な三大元(衣・食・住)を守護し、万民豊楽の守り神として古くより信仰をあつめている。

当神社は河内平野を望む形で西向きにお祀りされ、河内全帯を御守護される神社であり、厄祓い(方除け・厄年厄祓い・災難除け)の神社である。
また、三韓征伐の際神功皇后の交通の安全を司さどった神様である。


 [摂末社]
社名 御祭神 例祭日 御神徳
摂社 春日神社 天児屋根命 3月13日 家内安全
末社 天川神社 春日辺大明神 10月18日 雨乞い
末社 天照大神社 天照皇大神 10月17日 家内安全
末社 玉祖神社 櫛明玉命 9月25日 商売繁盛
末社 蛭子神社 事代主命 10月28日 蛭子・水子守護
末社 熊野神社 熊野豫日命 4月15日 縁結び
末社 安閑神社 安閑天皇 1月27日 学業成就
末社 住吉神社 住吉大明神 7月31日 海上・交通安全
末社 愛宕神社 伊弉冊尊 9月28日 防火・鎮火
末社 三輪神社 大物主大神 4月9日 厄除・方除
末社 稲荷神社 倉稲彦大神 2月初午 商売繁盛
末社 舟戸神社 舟戸大神 1月16日 漁師の安全・守護
頓 宮 (天王森) 八坂神社 素盞鳴命 10月17日 縁結び・家内安全
 夏祭神幸祭
8月1日(古くは、おんはらい祭と云う。住吉祭と同義)三韓征伐の功により住吉大明神と恩智大明神の親交深まり、夏祭を共に行い(旧6月27日)神輿の渡御を執り行なわれた。
途中摂津平野と河内との境界蔵作村の南(現在大阪市平野区加美春日町)春日神社に御旅所があり、そこで一泊留り、住吉大明神より幣帛奉まつりて厳粛且つ盛大に祭典が斎行され、御一夜を過ごされて翌帰還されたと伝わる。(以上引用)


      いこまかんなびの杜