いこまかんなびの会 活動記録  2



  第14回 探索会 葛城山から岩橋山を探索  2004.11.22 曇り時々晴
6月に高貴寺・磐船神社の探訪の後、東方の岩橋山にあるという謎の石造物、久米の岩橋を探すべく山に入ったものの道を間違って断念しため、再度、足に自信のある会員?と共に、葛城山〜ダイヤモンドトレールの尾根づたいに岩橋山を目指しました。
山々の紅葉もピーク?とはいえ、異常続きの年がらか鮮やかさもも一つ。ついでにみなさんの顔色もどこかも一つ。
いえいえ、平石峠から下山道はもう顔色も回復に。気持ちのよいなだらかな尾根道かと思えば、薄暗い人工林と年配には歩きにくい急な丸木階段を何度も下ってようやく岩橋峠へ到着。
最後の急階段を登って行く途中で、左側へ別れて続く踏み分け道を西へ下り、小高い尾根端を西側斜面へ回り込むと、そこに目的の石橋が目に入った。現状で長さ2.1m。絵図で想像するほどの大きさではなかったものの、役行者だけでなく葛城山と修験道、さらには大和・河内地方に大切な清水の源であり、水分神の宿る葛城山系と住吉大社の歴史に浸ることができました。磐城駅までよく頑張っていただきました。

 
 
岩橋山への急階段   謎の久米の岩橋    加工されている岩橋の部分      岩橋の前で

  番外個人探索  平群の船上神社跡と謎の船石を確認  2004.12.14 晴

第13回探索会の無念を解消。お天気のいい一日、やっと船上神社跡と謎の船石を発見。尾根筋突端にある長大な船底状?・板壁状の巨石(岩盤)が露出し、周辺斜面にも3〜4m大の花崗岩の自然石や、船状の石を確認。 
やはり探索は、平群谷三里(へぐりだに・みさと)の東光寺側から山道を登るのが正解でした。
南の三郷町も昔は「みさと」なのかな。
       
    
平群谷三里の宮山にある巨大な謎の船石・・?・・本命の船石は北側にあった!

  第15回 探索会 上町台地の比売許曾神社〜高津宮〜生国魂神社を巡る 2005.1.24 

いこまかんなびの会もまる2周年。今回は新年会を念頭において、『住吉大社神代記』に記され大阪上町台地にある住吉大社の部類神・子神に位置付けられる比売許曾神社〜上六の北にある東高津宮〜高津宮〜清らかな聖地?に囲まれた生國魂神社を見学に行きました。
暖かい1日に恵まれて、終わった後の行き先は当然?。住吉大社と渡来系神の祭祀の意味、神武伝承の難波の謎の磐船神社や日神の祭祀など、いろいろ考えさせられます。一句「今年こそ、勉強せねばと、のみながら」

 
  
  比売許曾神社       高津宮       高津宮の陰陽石    生國魂神社の境内

  第16回 探索会 神功皇后ゆかりの西宮-広田神社から甲山を巡る  2005.4.25

3月28日の予定が雨で中止となり、改めて行く事にしました。いい天気に恵まれたものの大阪駅で「JRの電車がマンションに激突事故」との情報を気にしながら、西宮駅からバスで広田神社を訪ねました。
神功皇后が三韓出兵帰還の途中、武庫の地=廣田の国に創建され、天照大御神荒御魂を祀ったとされる古社の一つで、当然『住吉大社神代記』に住吉大神の部類神として記されている神で、脇殿に住吉大神などが祀られています。
北方に突き出た甲山は、神功皇后が国家平安守護のために甲=カブトなどを埋めた山と言われ、南斜面には、真言宗の摩尼山→武庫山→甲山神呪寺
(かんのうじ)=甲山大師、西方の六甲山系のふもとににある鷲林寺(じゅうりんじ)を訪ねました。
ドーム形の甲山
(かぶとやま)は、本来こおの山=神の山=神南備山であり、古代には武庫川と武庫の港をひかえた重要な地域であったのでしょう。

 
   
広田神社      甲山大師-神呪寺山門     甲山と神呪寺      鷲林寺境内

      
            
    鷲林寺方面から東方甲山を遠望

  第17回 探索会 二上山の東ろくの神々を巡る  2005.9.26 晴/くもり


4月以来の久しぶりの探索会となりました。少しは涼しさを感じられる時候となったものの、当日はまだまだ蒸しむしとハイキングには少し早かったかも。でも彼岸花があちこちに綺麗に咲いていました。
さて、今回は、二上山駅から南下して、二上山の東山ろくの当麻町の神社などを巡りました。以前は北葛城郡当麻町、現在は市町村合併で葛城市当麻町になってます。 
山ろくの神社の参拝はもちろんですが、この地域は『住吉大社神代記』に神領として登場する和泉山地〜金剛・葛城・二上山にかけた広大な神領地の「北を限る、大坂・陀那波多乃男神女神・・・」として登場する神は、この神ではないかと考えた大田の谷合いにある棚機神社をぜひ探ってみたかったこと、あわせて東側の山ろくに海神などをまつる海積神社(わだつみ=祭神-海積豊玉彦命)がなぜ鎮座しているのか。など、いろいろ考えさせられました。
おそらくニ上山の東山ろく一帯は、渡来文化と深い関わりのある機織集団の祀る神域であったのだろうか。12kmも歩いてしまいました。へとへと。 
念のため、棚機神社は、平林古墳の西側、南阪奈道路の上にかかる橋を渡ったところ、平石峠道のすぐ南にあります。

     
           
    当麻寺の南東より二上山を遠望
 
 葛木倭文坐天羽雷命神社 当麻山口神社の鳥居  棚機神社(大田)背後は岩橋山  海積神社(大田)

  第18回 探索会 本住吉神社・生田神社・長田神社を訪ねる 2006.3.27  晴

昨年の9月以来、久しぶりの探索会となりました。今回は『住吉大社神代記』の中に、新羅より帰還した神功皇后の船団が難波に指して登るとき、皇后の船が海中を廻って進むことが出来なかった。務古の水門に還って卜ったところ、広田国(摂津国武庫郡)に天照大神の荒魂を祀ったのが広田神社、西方の神戸三ノ宮にあたる活田長峡国(いくたのながおのくに=摂津国八田部郡)に、天照大神の幼名ともいわれる稚日女尊を祀ったのが生田神社、さらに西方の長田国(摂津国八田部郡)に事代主尊を祀ったのが長田神社であるとされます。
また、三軍神であった表筒男・中筒男・底筒男のいわゆる住吉大神の和魂を「大津の淳中倉長岡峡国=
おおつのぬなくらのながおかのおのくに」に祀らせたのが、大阪の住吉大社です。
広田神社と生田神社の間には、本住吉神社(菟原住吉、訛って茨住吉)があります。住吉大神・神功皇后が祀られ、神社の略記にると上記の地はここ(摂津国菟原郡)であり、最初に祀られた所だとしています。
『住吉大社神代記』に「大神の宮九箇所に所在」の一社として「当国 菟原郡 社(三前)」と記される社は、本住吉神社と考えられますが、住吉大社の当初の祭祀地なのかどうか、あるいは神に荒魂と和魂があることから、荒魂は、神功皇后から離れた土地に祀られたことも考えられます。

   
   
  本住吉神社          生田神社           長田神社

  第19回 探索会 紀の国の古社を訪ねる  2007.3.3  晴/くもり

またまた1年ぶりの探索会となってしまった。今回も天気に恵まれ雨男と云われずにスンだ。以前から住吉大社の境内に祀られる子神「船玉神社」のご祭神は『住吉大社神代記』によると「斎き祀るは紀国の紀氏神、志麻神・静火神・伊逹神(いたてのかみ)の本社なり」と登場すること、それから、「いがすり神」「いばてりの神」の名前の謎。
それから重要な木材や船の供給地である紀伊国の大社伊太祁曽(いたきそ)神社と祭神の五十猛命(いたける)の「いた(だ)」の名が、極めて深い関係をもった神の名ではないのか。
さらに、大和〜紀伊にまがる山境、二上山から大和・和泉の葛城山系両山麓の広大な地を、住吉大神に寄せたことを記した「山河寄さし奉る本記」には、垂仁天皇が住吉大神の求めにより、武内宿禰の父、武猪(雄)心命を派遣して寄せ奉った所で、この山を弊とし、阿備の柏原社に居て斎祀った、と登場する「阿備」は、武内神社のある安原の地とも云われることもあって、和歌山市の東南「名草」の地にある伊太祁曽神社〜武内神社〜神武天皇聖蹟名草邑顕彰碑〜竃山神社〜日前神宮・国懸神宮を巡りることができ、紀の国の大きな謎とロマンに触れる充実した一日となった。

        
             
    東から名草山を遠望
 
  
  伊太祁曽神社  武内神社・宿禰誕生の井 神武天皇聖蹟名草邑顕彰碑    竃山神社



 第20回以降は単独探索のみになり、活動報告は省略しています。
 
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                 いこまかんなびの杜